アダムの中にいるか、キリストの中にいるか? ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ1:17 なぜなら、神の義はこの福音の中で啓示され、信仰から信仰へと至 らせるからです。「義人は信仰によって命を持ち、そして生きる」と書かれてい るとおりです。 1コリント15:22 アダムの中ですべての人が死んだように、キリストの中ですべ ての人が生かされます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 聖書はわたしたちに見せていますが、クリスチャンの生活は信仰の生活です。義 人は信仰によって命を受けます。これは最初の経験です。義人はまた信仰によっ て生きます。これはその後に続く経験です。 わたしたちの前には二つの世界があります。一つは物質的な世界であり、もう一 つは霊的な世界です。わたしたちが五感を活用する時、わたしたちは物質的な世 界の中に生きています。しかし、わたしたちが信仰を活用する時、わたしたちは 霊的な世界の中に生きています。わたしたちが自分の目を用いて自分自身を見つ める時、わたしたちは依然として罪人です。わたしたちは依然として汚れており、 ごう慢であり、この世のどの人よりも良くありません。しかし、わたしたちが信 仰を活用してキリストの中で自分自身を見つめる時、わたしたちは自分の短気と かたくなさがなくなっていることを見ます。すべてはなくなっています。今日、 二つの世界があります。そして、わたしたちは毎日それらの間で選択をしなけれ ばなりません。 もしわたしたちが五感によって物質的な世界の中に生きるなら、わたしたちは物 質的な世界を実体化するでしょう。もしわたしたちが信仰によって霊的な世界の 中に生きるなら、わたしたちは霊的な世界を実体化するでしょう。言い換えれば、 わたしたちが感覚を活用するとき、わたしたちはアダム(堕落した人)の中に生き ます。しかし、わたしたちが信仰を活用する時、わたしたちは直ちにキリストの 中に生きます。わたしたちは常にこれら二つの事柄の間にあります。わたしたち が感覚によって生きる時、わたしたちはアダムの中に生きます。わたしたちが信 仰によって生きる時、わたしたちはキリストの中に生きます。わたしたちがキリ ストの中で生きる時、キリストの中にあるすべてはわたしたちの経験となります。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしはあなたが他の人にもこの信仰を与えられるようにと祈りま す。彼らが、自分はアダムからキリストに移されたことを認識するようにしてく ださい。堕落したアダムの中で自分自身を見る必要がなく、すばらしいキリスト の中で自分自身を見るということは、何という救いでしょう。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー著「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第9編から引用され ています。いずれも日本福音書房から出版されています。