戦いの中で目を覚ましている(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ5:5 なぜなら、あなたがたはみな光の子であり、昼の子であるから です。わたしたちは、夜の者でも暗やみの者でもありません。(6節)ですから、他 の人たちのように眠ることなく、目を覚まして冷静でいましょう。(7節)なぜなら、 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。(8節)しかし、わたしたちは昼の者な のですから、冷静でいて、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みのかぶとをかぶ りましょう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) わたしたちはすでに指摘しましたが、パウロは第4章でわたしたちをこの望み(主 の再来の望み)をもって慰め、主が来られる時にわたしたちが携え上げられること を告げています。わたしたちは大歓喜の中へと移されて、空中で主にお会いしま す。しかしながら、このような望みは、目を覚まして冷静であるという生活を必 要とします。わたしたちは、主が来られるのを待つためには、目を覚まして冷静 である生活を必要とします。言い換えれば、わたしたちは主の再来の望みを働か せる時、目を覚ましている生活、また冷静である生活を必要とします。 ここの目を覚ましていることは、争い、戦いと関係があります。ある訳の聖書は、 「寝ずに番をする」という戦争に関係する語を使っています。戦いの中の兵士た ちは、目を覚まし、寝ずに番をする必要があります。目を覚ましていることが戦 うことに関連しているという事実は、パウロが8節で胸当てとかぶとのことを述べ ていることによって確認されます。胸当てとかぶとは普通の服装ではありません。 もちろん、それらは戦闘中の兵士たちが用いる武具の一部です。ですから、目を 覚まして冷静であるというパウロの観念は、戦うこと、戦闘と関係があります。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしの望みはあなたの再来です。そのような望みのためには、わ たしが戦いにおいて目を覚まし、寝ずに番をすることさえ必要であることを見せ てくださり、感謝します。主よ、良い兵士として、霊的な戦いに従事している者 として、わたしがいつも目を覚まして冷静でいるべきことを思い起こさせてくだ さい。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1986年版)メッセージ17から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。