命は御子の中にある ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ヨハネ5:11 これが証しです。すなわち、神がわたしたちに永遠の命を与えら れ、そしてこの命が御子の中にあるということです。(12節)御子を持つ者は命を 持っています。神の御子を持たない者は命を持っていません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 勝利を得る命は、どのようにしてわたしたちに与えられるのでしょうか? それ は御子の中でわたしたちに与えられます。御子を通してでなければ、わたしたち が勝利を得る命を受ける方法はありません。神がわたしたちに御子を与えられる 時、単なる薬をわたしたちに与えるのではなく、医者自身を与えておられるので す。神は、わたしたちに単なる命を与えられるのではありません。神は、御子の 中にあるこの命をわたしたちに与えられるのです。勝利を得る命を持つことは、 単に命を受ける問題ではなく、神の御子を受ける問題です。ですから、わたした ちとキリストとの関係が不正常である時、問題は大きくなります。いったんわた したちがキリストの信実さと約束を疑うなら、わたしたちは内側に問題を持つで しょう。神はわたしたちに、キリストと別に忍耐、柔和、謙そんを与えられるの ではありません。神はわたしたちに、御子の中で忍耐、柔和、謙そんを与えられ ます。わたしたちが御子に対して正しくなくなるやいなや、わたしたちは勝利を 失います。こういうわけで、わたしたちは毎日キリストとの正常な関係を必要と します。 毎日わたしたちは次のように言うべきです、「主よ、あなたはわたしのかしらで あり、わたしはあなたの肢体です。主よ、あなたは依然としてわたしの命であり、 依然としてわたしの聖です」。もしわたしたちの目を自分自身に向けるなら、わ たしたちはこれらのものを一つとして見いだすことができないでしょう。しかし、 もしわたしたちの目をキリストに向けるなら、わたしたちはすべてのものを持つ でしょう。これが信仰です。わたしたちはキリストから離れて、聖、勝利、忍耐、 謙そんを堅く保つことはできません。いったんわたしたちがキリストを持つなら、 わたしたちは聖、勝利、忍耐、謙そんを持ちます。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 御子をわたしたちに与えてくださる父なる神に感謝します。わたしは今や、勝利、 命、平安をこれ以上求めることをしません。わたしが求めるのは、御子と毎日良 い関係を保つことです。彼と共に、また彼の中で、わたしはすべてのものを持っ ていると信じます。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第9編から 引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。