聖別 対 淫行 (3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ4:6 だれもこの事で自分の兄弟を踏み越えたり、だまし取ったり しないことです。なぜなら、わたしたちが以前、あなたがたに言い、また厳かに 戒めておいたように、これらの事すべてに関して、主は報復する方であるからで す。(7節)神はわたしたちを汚れのためにではなく、聖別の中に召されたのです。 へブル13:4 すべての人の間で結婚が尊ばれるようにしなさい。また床を汚して はいけません。なぜなら、神は淫行の者と姦淫する者を裁かれるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全4編のうちの第3篇) 「自分の兄弟を踏み越えたり」とは、兄弟の妻との姦淫を言います。ギリシャ語 で「だまし取る」とは、利得を得ることでもあります。ですから、だまして奪う ことです。「この事」と言うことによって、パウロは3節で述べられた淫行の事を 意味しています。6節でパウロはまた、これらの事、すなわち踏み越えたり、だま し取ったりするような事に関して、主は報復する方であると言っています。主は 報復する方として、罰する方として、淫行の者と姦淫する者を裁き、公正な報い をされます。 淫行は常に、婚姻関係の決まりを踏み越えることと関わりがあります。男性と女 性との関係は神によって定められました。結婚は、神によって定められた聖なる 事柄であり、神の厳格な決まりの下にあります。ですから、男性と女性との接触 は、神の規定と決まりにしたがっていなければなりません。そうでないと、ある 種の違犯、踏み越える事、神の決まりを破ることがあるかもしれません。 淫行から遠ざかるようにとの使徒の命令は、聖別に基づいており(3節)、聖別に よって強められており(4節)、聖別をもってここで終結しています(7節)。なぜな ら、淫行は最も不潔な事柄として、神の召された聖徒たちの聖い立場と人格を破 壊するからです。 (明日へ続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主よ、あなたに感謝します。わたしが汚れでなく聖別へと召されたことを、わた しに思い起こさせてください。わたしはどのような種類の汚れも行ないたくあり ません。たとえほんの少し他人からだまし取ったり、自分の範囲を踏み越えるほ んのわずかな事柄であってもです。あなたの聖別する力によってわたしを守って ください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1986年版)メッセージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。