養う母 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ2:6 わたしたちはキリストの使徒として、権威を行使することが できたのですが、人からの栄誉を、あなたがたからも他の人からも、求めること はしませんでした。(7節)むしろ、わたしたちはあなたがたの間で、養う母が自分 の子供たちをはぐくむように優しくしました。(8節)このように、あなたがたを慕 わしく思っていたので、わたしたちはあなたがたに、神の福音だけでなく、自分 の命までも、大いに喜んで分け与えようとしたのです。それは、あなたがたがわ たしにとって愛する者となったからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― パウロは一兄弟でしたが、自分を養う母と見なしています。確かに彼には地位や 威厳や権威といった考えはありませんでした。養う母であるというこの思想は、 威厳や権威という考えとは非常に異なります。養う母にはどんな地位があるでし ょうか? 彼女にどのような地位や威厳や権威があるでしょうか? 彼女の威厳 は、自分の子供たちを養いはぐくみ、優しく彼らを顧みることにあります。 はぐくむという言葉は、愛情のこもったものであり、この上なく優しい言葉です。 パウロは自分自身を単に仕える者と見なしただけでなく、はぐくむ者と見なしま した。彼は決して信者たちを統制しませんでした。また単に彼らに仕えただけで もありませんでした。むしろ彼は彼らをはぐくんだのです。彼らに対する彼の心 遣いは優しさにあふれていました。8節にある「慕わしく思う」という言葉は、 乳母が自分の養いはぐくむ子供に愛情を込めて心を配るように、愛情を込めて好 きになること、愛情を込めて熱望することを示します。これが、使徒たちが新し い信者たちに対して行なったことでした。 使徒たちはテサロニケ人たちに神の福音を分け与えただけではありませんでした。 使徒たちは彼らに自分の魂までをも分け与えたのです。これは、信者たちのため に喜んで使い尽くされることについての、コリント人への第二の手紙第12章のパ ウロの言葉と比べられ得ます。パウロは、自分の持っているものを喜んで使い尽 くしただけでなく、彼自身を、彼の存在そのものを喜んで使い尽くしました。使 徒たちは自分そのものを、喜んで信者たちの中に分け与えました。これは、自分 の子供に自分自身を与える、養う母にたとえることができます。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、他の人を養いはぐくむわたしの経験を増し加えてください。わたし が彼らに福音を分け与えるだけでなく、養う母が子供をはぐくむように、わたし 自身の魂をも分け与えますように。わたしが彼らのためにどのように使い尽くし、 また使い尽くされるべきかを、わたしに示してください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への手紙(一)」(1980年版) メッセージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。