福音におけるわたしたちの生活態度 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:5 なぜなら、わたしたちの福音があなたがたの所へ伝えられて行 ったのは、言だけによったのではなく……わたしたちがあなたがたの間で、あな たがたのためにどのような者であったかは、あなたがたがよく知っているとおり です。 2:1 兄弟たちよ、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがあなたがた の所へ入って行ったことは、無駄ではありませんでした。(2節)あなたがたが承知 しているとおり、わたしたちは以前、ピリピで苦しめられ、辱められたのですが、 わたしたちの神にあって大胆になり、多くの苦闘のうちに、神の福音をあなたが たに語りました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 使徒は、信者たちの所に彼らが入って行ったことを繰り返し強調しています。こ れが示していることは、福音を新しい回心者たちの中に注入し込むことにおいて、 彼らの生活態度が大きな役割を果たしたということです。それは、使徒たちが何 を言ったかだけではなく、彼らが何であったかでもありました。使徒たちはその ようにして福音を携えてテサロニケ人たちの所に来たので、テサロニケ人たちは 納得したのでした。使徒たちが入ってきたことは無駄ではありませんでした。彼 らは、どのように主を信じ、どのように主に従うかの一つの模範でした。使徒た ちを通して多くの人たちが主イエスを信じるようになったので、一つの教会が1か 月足らずのうちに起こされました。これは、おもに宣べ伝えと教えの結果として 起こったのではなく、使徒たちがテサロニケ人たちの間にどのように入ってきた かを通してでした。 福音を宣べ伝えることにおいて、使徒たちは神を経験しました。彼らは福音のた めの苦闘の中で、神を彼らの大胆さとして享受しました。彼らはピリピ人たちに 乱暴に取り扱われた後でさえ、彼ら自身の中でではなく、神の中で大胆でした。 苦難も迫害も彼らを打ち破ることはできませんでした。なぜなら、彼らは三一の 神との有機的結合の中にあったからです。2節によれば、彼らは多くの苦闘の中で 神の福音を語りました。これは、彼らが宣べ伝えていた間、彼らが戦っていたこ とを示しています。なぜなら、迫害は依然として続いていたからです。ですから、 彼らは苦闘しつつ、神の大胆さの中でテサロニケ人たちに福音を語っていたので した。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしはあなたとの有機的結合の中にあるので、大胆に語ります。 そして、あなたの福音への入り口を、わたしの周りにいる人々に開く生活をする ことができます。わたしは、福音を宣べ伝えることとわたしの日常生活において、 あなたを経験し享受するようにと祈ります。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への手紙(一)」(1980年版) メッセージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。