三一の神 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:1 ……父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。 (10節)イエスが、天から来られるのを待っている。 (6節)……大きな患難の中で、聖霊の喜びをもって言を受け入れ。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― テサロニケ人への第一の手紙第1章で三一の神が啓示されています。この章の中 でわたしたちは三一の神、すなわち御父、御子、聖霊を持ちます。 パウロの時代には、典型的なユダヤ人であればみな、「神の御子」という表現に よって感情を害させられたことでしょう。これは、ユダヤ人たちにとっては腹立 たしいものでした。なぜなら、彼らはまことの神を信じていましたが、神には御 子がおられることを認識してなかったからです。ユダヤ人たちはある程度まで、 神が霊を持っておられることを信じていました。しかしながら彼らは、その霊が 神ご自身と全く同格であるという理解を持っていませんでした。彼らは、神が霊 を持っておられ、この霊が神に従属することだけを信じていました。神について のユダヤ人の信仰によれば、神は唯一であり、この唯一の神は霊を持っています。 確かにユダヤ人たちは、神には御子がおられることを信じませんでした。また彼 らは、神の御子と神の霊が神と全く同格であることも信じませんでした。これは、 ユダヤ人の観念とは全く相入れないものです。こういうわけで、パウロが御父、 御子、聖霊について語ることは、とても基本的なことを語ることなのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 神よ、あなたが三一、すなわち御父、御子、その霊であことを、わたしは本当に 喜びます。わたしにとって、あなたはもはやただの神ではなく、三一の神であり、 御子の中で表現された神です。わたしをこのような最も基本的な真理へともたら してくださったことに、感謝します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ4から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。