客観的な信仰と主観的な信仰(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:8 すなわち、主の言があなたがたから出て……神に対するあな たがたの信仰も広く伝わっているので……。 3:2 テモテを遣わしました。それは、あなたがたの信仰のために、あなたがた を確立し、励まして。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 上に挙げたこれら両方の節でパウロは、「あなたがたの信仰」と言っています。 パウロはテサロニケ人たちの信仰について深い関心を持っていました。これらの 節の信仰は、聖徒たちが信じることを指す主観的な信仰であるだけでなく、彼ら が信じているものを指す客観的な信仰でもあります。客観的な信仰とは、わたし たちの信じる対象です。信じる対象とは、わたしたちが信じているものを指しま す。信仰は、展望と視力の両方と関係があります。まずわたしたちの前に展望、 光景があります。それからわたしたちはこの展望を見る視力を持ちます。そうす れば、自然にわたしたちは信仰を持つようになります。 仮に、あなたが一群れの未信者たちに福音を伝えているとします。あなたが彼ら に語るものは、言葉にあるだけでなく、力にあり、聖霊にあり、大いなる確信に あります。あなたは彼らに福音の物語を告げ、いかに神が彼らを愛しておられる か、いかに神がご自身の御子を遣わして人と成らせ、彼らに代わって十字架で死 なせられたかを述べます。あなたが語っている時、あなたは単に物語を告げてい るのではありません。あなたは一つの展望、一つの光景を提示しているのです。 あなたが語りかけている人たちは、この展望を見始めます。彼らは、罪人である ことについて認識します。そして、神、イエス・キリスト、十字架があることを 見ます。福音の宣べ伝えにおいて描写されたこの展望は、神の啓示です。未信者 たちがこの啓示を見るやいなや、自然に信仰が彼らの中に生じ、彼らは信じるよ うになります。彼らは、自分の見るものを信じるのです。これが信仰です。 わたしたちはさらに多くの信仰、すなわちさらに強く、さらに広く、さらに大き な信仰を持つためには、さらに多くの展望を必要とします。こういうわけで、わ たしたちは聖なる御言葉をさらに多く知り、さらに多くのメッセージを聞いて、 さらに広い展望を与えられる必要があります。そうすれば、わたしたちはさらに 多くのものを見るようになり、それがさらに大きな信仰を生み出すのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、わたしにさらに多くのものを見せてくださり、さらに大いなる信仰 を与えてください。わたしは、展望が広げられて、わたしの信仰が増し加わるこ とを願います。わたしが友人に語る言葉を祝福してください。そして、彼らが福 音の展望を受け、信仰が彼らの中に生み出されるようにしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1980年版)メッセージ3から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。