神の御子を待ち望む ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:10 また、神が死人の中から復活させられた御子、すなわち、ま さに臨もうとしている激怒からわたしたちを救うイエスが、天から来られるのを 待っているのかを言い広めているのです。 テトス2:13 祝福された望み、すなわち、わたしたちの大いなる神また救い主、 イエス・キリストの栄光の出現を待ち望むようにさせています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちはクリスチャンとして、わたしたちの望みはこの地上にあるのでも、 この時代にあるのでもないことを、他の人たちに表明する生活をしなければなり ません。わたしたちの望みは、来ようとしておられる主にあるのであり、わたし たちの前途は主の中にあるのです。この地上では、わたしたちにはいかなる運命 も目的も前途もありません。わたしたちの前途、わたしたちの運命、わたしたち の目的は、来ようとしておられる主に完全に焦点づけられています。主はわたし たちの望み、わたしたちの前途、わたしたちの目的です。わたしたちは主の下へ 行きつつあります。そしてわたしたちの運命は、主にお会いすることです。 反対に、この世の人たちの生活が他の人たちに与える印象というのは、彼らの前 途が地上にあり、彼らの望み、運命、目的がすべて現在にあるということです。 彼らの前途は完全にこの時代と関係がありますが、わたしたちの前途は違います。 わたしたちは天から来られる神の御子を待ち望んでいますから、わたしたちの前 途は彼に焦点づけられています。わたしたちはこの地上には何の望みも持たず、 この時代に何の運命もありません。 真のクリスチャンはいかなる偶像も持ちません。彼らは、彼らの神が生きておら れることを証しする生活をします。また、この地上には何の望みもなく、来られ る方だけに望みがあることを、彼らの生活によって表明します。わたしたちは神 以外に何も持つべきではありません。わたしたちの神はわたしたちの日常生活の 中に生きているべきです。わたしたちは、天から神の御子が来られるのを待ち望 んでいることを表明すべきです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしが日常生活の中であなたに焦点づけられるようにしてくださ い。わたしは、しばしば自分がこの時代のこの世的な事柄でそらされてしまうこ とを告白します。主よ、わたしは自分の生活があなたに注意を払い、あなたの来 られるのを待ち望んでいる人であることを表明するようになることを願います。 アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。