神はわたしたちに対する望みを失われたのでしょうか? ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ガラテヤ2:20 わたしはキリストと共に十字架につけられました。生きているの はもはやわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです……。 ローマ8:7 なぜなら、肉につけた思いは神に敵対するからです。それは神の律 法に服従しないし、服従することもできないのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 今日、神はわたしたちをどのように見られるでしょうか? 神はわたしたちを十 字架に釘づけられました。なぜ神はこのことをなさったのでしょうか? 神はわ たしたちに全く望みを持っておられません。神は、わたしたちには望みがなく、 方法がないと見られます。肉は極みまで腐敗しきっているので、死ぬほか別の道 はありません。主イエスの働きは、わたしたちの肉を変えることではありません。 神の力は、わたしたちの肉を変えることができません……。聖書を読んでも祈っ ても、肉を変えることはできません。肉から生まれるのは肉です(ヨハネ3:6)。肉 は全く望みがなく、肉を変えることは決してできません。神は、死が肉の当然の 運命であると見られます。 順序として、救われた後に神がクリスチャンに要求される第一の事は、バプテス マです。バプテスマは一つの宣言です。すなわち、神が人に対する望みを放棄さ れ、人を十字架につけたという宣言です。バプテスマはまたわたしたちの宣言で もあります。すなわち、わたしたちは死ぬほかないので、他の人にお願いして葬 っていただくのです。あなたは見ましたか? バプテスマは、わたしたちが死ん だ事についての神の宣言であり、またわたしたちの承認であるのです。バプテス マは、わたしたちに対する神の評価について、わたしたちが「アーメン」を言う ことです。わたしたちは死ぬほかないと神が言われるので、わたしたちは一歩進 んで自分自身を葬ります。わたしはもはや自分自身に望みを置きません。わたし はただ死ぬほかないので、今日わたしは死の地位に立っているのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主よ、わたしの肉には望みがないことに、わたしは同意します。わたしは決して 変わらないでしょう。あなたの十字架上の死に感謝します。そこにわたしも含ま れていました。今やわたしは、自分を変えなければならないという事から解放さ れました。主よ、今日、わたしの中で生きてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第4編から 引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています