信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:3 あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イ エス・キリストにある望みの忍耐とを、わたしたちの神また父の御前で絶えず思 い起こしています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) わたしたちの働きは、わたしたちの信仰です。わたしたちが働きをする強さと、 わたしたちの働きの性質は、両方とも信仰であるべきです。わたしたちクリスチ ャンの働きは、信仰の性質のものであるべきであり、人の知識、能力、力の性質 を持つものであるべきではありません。 働きは、あまり深いものでもなく、あまり困難なものでもないかもしれません。 しかしながら、労苦は、働きよりも一層深いものであり、また困難なものです。 成し遂げるのが困難な働きをわたしたちが行なっている時、それが労苦です。こ の労苦は愛からであるべきです。愛が、わたしたちクリスチャンの労苦の動機と 特徴です。これは、愛がその表現であることを意味します。わたしたちクリスチ ャンの働きは、ついには一つの労苦になります。すなわち、一層深くて、また困 難なものになります。この労苦のためには、信仰だけでは不十分です。わたした ちは愛をも、すなわち永続する愛をも必要とします。 子供を育てることは、愛の労苦についての良い例証です。母親は、子育てが単な る働きではなく、一つの労苦であることを知っています。出産の後、新しく母親 になった人は、そのみどりごに優しい愛を持つでしょう。しばらくの間、彼女は その子供を顧みる働きを喜んでするでしょう。しかしながら、ついにはその働き は一つの労苦となって、彼女を圧迫し、消耗させるでしょう。そのような愛がな ければ、彼女は長年にわたる子育ての負担を担うことはできないでしょう。この 愛が彼女を動機付けて、子供の世話をさせるのです。それはまた彼女の労苦の特 徴、表現でもあります。これが例証していることは、クリスチャン生活において は、わたしたちはまず信仰の働きを持ち、それからこの働きが愛の労苦になると いうことです。 (明日へ続く) ―――――――――――――――祈り―――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしが他の人々を顧みる時、信仰をわたしたちに供給して、わた したちを働かせてください。それ以上に、愛の労苦をするようわたしを力づけて ください。主よ、源としてのあなたがなければ、自分はとても限りのある者であ ることを、わたしは知っています。あなたの神聖な愛によってわたしを動機付け てください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ1から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。