主の御名を正しく呼び求める ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」からです。 ガラテヤ4:6 そして、あなたがたは子たちであるのですから、神はわたしたちの 心の中へ、「アバ、父よ!」と叫ぶ御子の霊を遣わされたのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― テサロニケ人への第一の手紙第1章1節でパウロが、神の前に父という称号を、ま たイエス・キリストの前に主という称号を挿入していることは、極めて意義深い です。神やイエス・キリストについて語るだけでは十分ではありません。むしろ わたしたちは、神がわたしたちの父であること、イエス・キリストがわたしたち の主であることを語る必要があるのです。もしイエス・キリストがわたしたちの 主でないとしたら、わたしたちは実際的には彼と何の関係も持っていません。し かし、イエス・キリストがわたしたちの主となられる時、これはわたしたちが彼 の中にあり、彼に有機的に結合されていることを意味します。 わたしたちは主イエスの名を呼び求める時、「イエスよ」と言うだけでなく、 「主イエスよ」と言うべきです。「イエスよ、わたしはあなたを愛します」と言 うのではなく、「主イエスよ、わたしはあなたを愛します」と言うほうが優って います。このように主を呼び求めることは、何と甘いことでしょう! あるクリスチャンは、「神を賛美します!」と言うのを好みます。しかし、新約 での強調は、父なる神を賛美することにあります。今日のわたしたちにとって、 神はわたしたちの父であり、イエスはわたしたちの主であることを、わたしたち は認識する必要があります。コリント人への第一の手紙第12章3節によれば、わた したちが「主イエスよ」と言う時、わたしたちはその霊の中にいます。これは、 主イエスを正しく呼び求めることをその霊が尊ばれることを示しています。わた したちの多くは「主イエスよ」と呼ぶ時、内側にその霊の油塗りを感じると証し することができます。同じことが、「アバ父よ」と言うことについても言えます。 もしわたしたちがエロヒムである神を呼ぶだけでしたら、わたしたちはあまり油 塗りを持たないでしょう。しかし、「アバ父よ」と呼ぶ時、わたしたちは油塗り を経験します。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの御名はわたしにとってとても尊いです。わたしはあなたを 呼び求めることを愛します。わたしは「主イエスよ」と言う時にいつも、わたし の霊の中で油塗りを感じます。他の人もあなたの御名を呼ぶことの甘さを味わう ことができるように、わたしは祈ります。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ1から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。