時を贖い取って命を供給する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ4:5 外部の人々に対して知恵の中を歩き、時を贖い取りなさい。(6節) あなたがたの語りかけを、常に恵みを伴った、塩で味つけられたものにしなさい。 そうすれば、一人一人に対して、いかに答えるべきかがわかるでしょう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 時を贖い取ることは、あらゆる好機を捕らえて命を供給することです。これが、 わたしたちの歩みの中で知恵のあることです。この邪悪な時代にあっては、あら ゆる日が邪悪な日であって、わたしたちの時を滅ぼし、台無しにし、浪費させる 有毒な物事で満ちています。こういうわけで、わたしたちは賢く歩き、時を贖い 取って、あらゆる利用し得る機会を捕らえなければなりません。 知恵の中を歩くとは、あらゆる機会を捕らえて、わたしたちの時を贖い取ること です。このように時を贖い取ることは、わたしたちが他の人たちに語りかける方 法と関係があります。多くの時わたしは、人々に話かける際の自分の愚かさを主 に告白しなければなりません。わたしは命を供給して、いざこざを避けるために、 十分に知恵を用いることをしませんでした。そうではなく、わたしは命の供給の ない会話にふけって、時を浪費しました。他の人と接触する時、主がわたしたち に知恵を与えてくださるようにと、わたしたちは祈る必要があります。もしわた したちが他の人たちに語りかける時に知恵の中を歩くなら、わたしたちは自分の 時を贖い取るでしょう。わたしたちはみな、愚かな話に時間を費やしてしまった ために、命を供給する機会を逃しているのです。 恵みとは、わたしたちの享受また供給としてのキリストです。わたしたちの語り かけは、この恵みを他の人たちに伝達すべきです。他の人たちを建て上げる言葉 は、聞く人たちにそのような恵みを常に供給します。わたしたちの言葉が恵みを 伴うとは、キリストがわたしたちの言葉を通して表現されることを意味します。 この意味は、わたしたちの言葉がキリストの表現と発言であるべきであるという ことです。わたしたちの言葉はまた塩で味つけられているべきです。塩は、物の 味わいを快く楽しくさせます。塩で味つけられた言葉は、わたしたちを互いに平 和に保ちます(マルコ9:50)。もしわたしたちの言葉が恵みを伴い、塩づけられて いるなら、それらは物事を快くさせ、他の人たちの内に正常な味わいをも呼び起 こすでしょう。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしは特に話すことにおいて、時を贖い取ってあなたを表現した いです。愚かなおしゃべりからわたしを救ってください。わたしの言葉が恵みと してのあなたご自身で満たされて、聞く人たちを建て上げるようにしてください。 わたしはあらゆる機会を捕らえて、命を供給したいです。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(四)」(1980年版) メッセージ30から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。