わたしたちの放縦な肢体を死に渡す ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:5 こういうわけで、地上にあるあなたがたの肢体、すなわち、淫行、 汚れ、激情、邪悪な欲、むさぼりを死に渡しなさい。むさぼりは、偶像礼拝です。 ローマ8:13 なぜなら、もし肉にしたがって生きるなら、あなたがたは死ななけ ればならないからです。しかし、その霊によって体の行ないを死に渡すなら、あ なたがたは生きます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― コロサイ人への手紙第3章5節でパウロは、わたしたちの地上にある肢体を死に渡 すことを命じます。この命令は、わたしたちがキリストと共に十字架につけられ たという事実(ガラテヤ2:20前半)と、わたしたちがキリストの死の中へとバプテ スマされたという事実(ローマ6:3)に基づいています。わたしたちが自分の罪深い 肢体の上にキリストの死を執行するのは、それらを十字架につけることによって であり、信仰によってであり、その霊の力を通してです。これは絶対的に禁欲主 義と異なります。 ローマ人への手紙第8章11節と13節によれば、体の行ないを死に渡すことは、そ の霊の力の中で遂行される行為です。それは自己の努力によって成し遂げられる のではありません。体の行ないを死に渡そうとするわたしたちの企ては、禁欲主 義にほかなりません。わたしたちは禁欲主義を実行するのではありません。聖霊 の力によって、わたしたちの中の消極的な事柄を死に渡すのです。これを行なう ためには、わたしたちはその霊に開き、その霊にわたしたちの内側を流れていた だく必要があります。その霊の流れを通して、わたしたちはキリストの死の効力 を経験します。これは禁欲主義ではありません。これは、わたしたちの内側にお けるその霊の活動です。 わたしたちは禁欲主義に関して警告を受ける必要があります。わたしたちは肉の 欲を対処しようとして、自分自身に何かを課すべきではありません。その反対に、 わたしたちの実行は、主との交わりの中で自分自身を開き、その霊にわたしたち の内側を自由に流れていただき、キリストのすべてを含む死の効力をわたしたち の存在中の消極的な事柄に適用することであるべきです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしは自分の努力によっては、わたしの肉の行ないを死に渡すこ とはできないと認めます。これはその霊の力によってのみ遂行されることを、わ たしに思い起こさせてください。主よ、その霊がわたしの中で働く時、わたしが いつもあなたに開いているようにしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ28から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。