主が来られるまで主の死を告げ知らせる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント11:25 彼らが食事をした後、杯も同じようにして、言われました、 「この杯は、わたしの血によって立てられた新しい契約である。わたしの記念に、 それを飲むたびに、これを行ないなさい」。(26節)ですから、あなたがたがこの パンを食べ、その杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるの です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 主は必ず再来されます。これはわたしたちにとって大きな慰めです。この再来と 晩餐とを一緒にすると、それには特別な意味があります。わたしたちは毎週この 晩餐にあずかります。毎週毎週と教会が同じ晩餐にあずかり続けてすでに二千年 近くもたちましたが、この晩餐はまだ過ぎ去っていません。わたしたちはずっと この晩餐にあずかり続けます。わたしたちは、主が戻って来られるまでずっと待 ち続けます。主が戻って来られる時、わたしたちはもはやこの晩餐にあずからな いでしょう。顔と顔とを合わせてわたしたちが主にお会いする時、この晩餐は過 ぎ去るでしょう。わたしたちが再び主を見る時、もはやこのようにして主を記念 する必要はなくなります。 ですから、晩餐の意義は主を記念することであり、主の来られるまで主の死を告 げ知らせることです。どうか兄弟姉妹たちが初めから主ご自身に目を注ぎますよ うに。人が主ご自身を記念すれば、自然に主の死も記念するようになります。主 の死を記念すれば、自然にその目は王国の上に注がれるようになるでしょう。あ る日、主は再来されます。主はわたしたちをご自身のもとに迎えてくださいます。 十字架は、常に主の再来を来たらせ、栄光を来たらせます。わたしたちは主を記 念する時、顔を上げて次のように言うべきです、「主よ、わたしはあなたの御顔 を見たいです。あなたの御顔を見る時、他のものすべては過ぎ去ります」。主は わたしたちに、主が来られるまで主を記念し、主の死を告げ知らせ、主の死を宣 言してほしいのです。 (明日へ続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの晩餐は何という励ましでしょう! それによって、あなた に対するわたしの愛は新鮮にかき立てられます。また、わたしがあなたの再来を 思い起こす時、わたしの心は期待で満ちます。主よ、あなたに感謝します。あな たが来られるまで、わたしたちはあなたの死を告げ知らせ続けることができます。 アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。