主の晩餐の意義(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント11:24 感謝をささげてから、それをさいて言われました、「これは、 あなたがたのために与えるわたしの体である。わたしの記念にこれを行ないなさ い」。(25節)彼らが食事をした後、杯も同じようにして、言われました、「この 杯は、わたしの血によって立てられた新しい契約である。わたしの記念に、それ を飲むたびに、これを行ないなさい」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 晩餐の第一の意義は、主を記念することです。主は、わたしたちが主を忘れてし まうのを知っておられます。わたしたちの得た恵みはこんなにも大きく、その贖 いはこんなにもすばらしいのですが、経験から言って人は主を忘れてしまうので す。主は、わたしたちをはるかに超えておられ、どれほど偉大であるかわかりま せん。わたしたちが主を記念したからといって、主にさらに益を与えるわけでは ありません。それにもかかわらず、わたしたちのために主は言われました、「わ たしの記念にこれを行ないなさい」。 主は自らを低くされ、喜んでわたしたちの記念を受けてくださいます。主はへり くだった救い主として来られました。主はまたへりくだってわたしたちの心を得 に来られます。へりくだってわたしたちの記念を受けに来られるのです。主はわ たしたちにご自分を忘れてほしくないのです。主は、わたしたちが週ごとに絶え ず主の御前で生き続け、記念し続けることを願っておられます。それはわたした ちが霊的な益を得るためです。主がわたしたちにご自身を記念するよう言われる のは、主の愛の要求です。もしわたしたちが主を常に記念することをせず、主の 贖いを自分の前に置くこともしないとしたら、わたしたちは容易にこの世の罪悪 と一つになってしまうでしょう。また神の子たちの間には容易に争いが起こって しまうでしょう。わたしたちは大きな損失を被ることになるでしょう。こういう わけで、主はわたしたちにご自身を記念するよう言われるのです。もしわたした ちが主を記念するなら、わたしたちは益を得ることができます。これは、祝福を 受ける一つの方法です。わたしたちは、主を記念することを通して主の恵みを受 け取ることができるのです。 (明日へ続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの晩餐によって、わたしが定期的にあなたを記念する方法が 与えられていることを感謝します。あなたの晩餐によって、わたしはあなたの御 前で生きる必要があることも思い起こします。主よ、今日わたしがあなたを記念 することができるようにしてください。わたしはさらにあなたの祝福を得たいの です。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。