主の晩餐の設立 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ26:26 彼らが食事をしていた時、イエスはパンを取り、それを祝福して さき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べなさい。これはわたしの体であ る」。(27節)また杯を取り、感謝をささげて、それを彼らに与えて言われた、「み な、それから飲みなさい。(28節)これは、多くの人に罪の赦しを得させるために、 今、注ぎ出されているわたしの契約の血である。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 教会には、神の子たちがみな出席すべき晩餐があります。この晩餐は、主イエス がこの地上で生きておられたその最後の夜に設けられたものであり、その翌日に 彼は十字架に釘づけられました。この晩餐には一つの歴史があります。ユダヤ人 には過越の祭りと呼ばれる祭りがあり、エジプトで奴隷となっていた時に神が彼 らを救われたことを記念しました。神はどのように彼らを救われたのでしょうか?  神は、おのおのその父の家ごとに小羊を一家族に一頭取って、第一の月の十四 日の夕暮れにこの小羊を殺し、その血を門柱とそのかもいに塗り、その夜はこの 小羊の肉を種入れぬパンと苦菜を添えて食べるよう命じました。ユダヤ人がエジ プトから出てきた後、毎年この祭りを守って記念するようにと、神は彼らに命じ られました(出エジプト12:1-28)。ですから、ユダヤ人の目から見れば、過越の祭 りは、自分たちが救われたことを思い起こすものとして設立されました。 主イエスがこの世を去ろうとしていた最後の夜は、ちょうど過越の祭りの夜でし た。主イエスが弟子たちと過越の小羊を食べた直後に、主はご自身の晩餐を設け られました。主はここで、ユダヤ人が過越の祭りをするのと同じように、わたし たちが主の晩餐を食べるべきことを見せようとされたのです。 (明日へ続く) ―――――――――――――――祈り―――――――――――――――――― 主イエスよ、もしユダヤ人が過越を通して自分たちが救い出されたことを思い起 こすのであれば、わたしはあなたの晩餐にあずかることによってあなたの犠牲の 死を思い起こすことを、どれほど願うことでしょうか! それによって、わたし はあなたの救いについて新鮮な感謝を持つことができます。このような記念を設 立してくださったことを感謝します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第17編から引用されています。 *月曜日のeMannaの送信が、コンピュータトラブルのために遅れてしまいました。 ここにお詫び申し上げます。今後ともご愛読をよろしくお願い申し上げます。