キリストは神の良き地である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:6 そういうわけで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入 れたのですから、(7節)すでにキリストの中に根ざしているのであって、建造され ながら……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― パウロがコロサイ人への手紙のこの章を書いていた時、彼は旧約聖書の中の良き 地の絵を、すべてを含むキリストの一つの予表として考えていました。第1章12 節にこの事の暗示があります。その箇所でパウロは、キリストは聖徒たちの分で あると言っています。それから第2章6節でパウロはわたしたちに、キリストの中 を歩くようにと告げます。これは、キリストはわたしたちが歩くことのできる土 地、領域、分野であることをそれとなく言うものです。なおまた第2章7節でのキ リストに根ざすことについての言及も、パウロが良き地を考えていたことを示し ます。キリストに根ざすためには、キリストはわたしたちの土地、土壌でなけれ ばなりません。これらすべては、コロサイ人への手紙に啓示されているキリスト がわたしたちの良き地であることの表示です。 パウロは、旧約時代の神の選びの民が良き地を自分たちの分として享受したこと を知っていました。さらにまたパウロは、良き地が彼らにとってすべてであった ことを認識していました。彼らが神を礼拝することができたのも、神の証しと神 の唯一の住まいのために宮を建造することができたのも、良き地を通してでした。 神のご計画がイスラエルの子たちを通して成就されたのは、良き地を通してでし た。パウロは、良き地が神の選びの民にとって何であるのかを十分に認識してか ら、思いの中に良き地を描きながら、コロサイ人への手紙を書きました。こうい うわけで、もしわたしたちが本書に啓示されているようなすべてを含むキリスト を経験しようとするなら、そのようなキリストはカナンの地によって予表されて いることを、わたしたちは認識する必要があります。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたがすべてを含んでいることを、良き地を用いてわたしに示し てくださり感謝します。主よ、わたしは遠くからあなたをただほめたたえるだけ よりも、あなたの中に根ざしたいです。決してあなたの外を歩きたくありません。 あなたの中に住む経験をさらにわたしに与えてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(二)」(1980年版) メッセージ20から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。