キリストを聖徒たちの分として供給する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:6 そういうわけで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入 れたのですから、(7節)すでにキリストの中に根ざしているのであって、建造され ながら……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) もしわたしたちがキリストの中で完全に成長した人たちをささげたいのでしたら、 わたしたちは彼らにキリストを聖徒たちの分として供給しなければなりません(コ ロサイ1:12)。もしわたしたちがキリストを十分に経験していなければ、他の人に キリストを供給するのは難しいことがわかるでしょう。例えば、もしわたしたち がキリストによって生きることを経験していなければ、他の人をキリストによっ て生きるよう助けることはできません。しかし、もしわたしたちが日常生活の中 でキリストを生き、キリストを成長させ、キリストを生み出すなら、他の人たち と接触する時、わたしたちは自然に彼らの中にキリストを注入し込むでしょう。 わたしたちがキリストをわたしたちの命またパースンとすればするほど、一層他 の人たちにキリストを供給することができるでしょう。キリストを経験し、キリ ストによって生きる者となってこそ、わたしたちは他の人たちに影響を与えて、 同じ事を行なわせることができるでしょう。わたしたちはキリストを良き地とし て享受し、彼の上で労苦し、彼の中で生活し、彼の中で歩き、彼の中でわたした ちの存在を持つ必要があります。もしわたしたちがそのような人であるなら、わ たしたちが経験しており、生きているそのキリストを、他の人に流すことができ るでしょう。主の回復の中でわたしたちが必要とするのは、さらに労苦して他の 人を教会生活に連れてくることだけではありません。わたしたちは他の人にキリ ストの豊富を供給する必要があります。それは彼らが成長し、円熟するためです。 このためには、わたしたち自身が聖徒たちの分であるキリストをさらに多く経験 する必要があります。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、あなたの御子に対するわたしの経験を増し加えてくださるよう、わ たしは祈ります。わたしの日常生活の中でも、わたしが彼をわたしの命またパー スンとするようにしてください。わたしの生活が、キリストを人々に供給するも のとなりますように。父よ、他の人たちにも触れてくださり、彼らが日常生活の 中でさらにキリストを経験することができるようにしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(二)」(1980年版) メッセージ16から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。