安息日は福音と神の安息を指す ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 出エジプト20:10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどん な仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男 奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――(11節) それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造 り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖な るものと宣言された。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 第四の戒めは、人に安息日を記念させるものであり、神のみわざを記念させるも のです。この記念は、神が六日間を費やして地を回復し、それから七日目に安息 された事を、人に振り返って見させるものです。ですから、七日目はもともと神 が安息された日でした。 旧約の事柄は、すべて来たるべきすばらしい事柄の影にすぎません(へブル10:1)。 神が人に安息日を与えられたことも、旧約のその他多くの予表と同様に、霊的な 意義がその中にあります。神は六日目に人を造り、七日目に安息されたのですか ら、人は造られるとすぐに働いたのではなく、まず神の安息の中へと入り込みま した。神はまず六日間にわたってみわざをなされ、その後に一日の安息を持たれ ました。しかし、人は存在するやいなや、六日間があってそれから一日があるの ではなく、まず一日があり、それから六日間があったのです。人はまず安息し、 その後はじめて働いたのです。これが福音の原則です。ですから、安息日は福音 の予表です。まず救いがあり、後に働きがあります。まず命があり、後に行ない があります。安息が働きの前にあり、安息が行ないの前にあります。これが福音 です。神はわたしたちに見せておられますが、神はすでに贖いの安息を用意され ました。わたしたちはその中に入った後に働くのです。神に感謝します。安息が あって、はじめて働くことができます。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、まず神の安息を経験することなしにはあなたのために働くことがで きないことを見せてくださり、わたしはうれしいです。あなたが備えてくださっ たこの安息の中へと、わたしをもたらしてください。そこにおいてわたしは、あ なたの救いと贖いのすべての面を享受し、完全に評価します。主よ、他の人たち にもこの原則を示してあげてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第14編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。