光の中でキリストにあずかる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:12 光の中にある聖徒たちに割り当てられた分にあずかるようにと、 あなたがたを資格づけてくださった父に、感謝をささげるように。 詩篇16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前 には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしは若かったころ、キリストに従い、キリストの足跡にしたがって歩むよう にと教えられました。わたしはまた、キリストをもろもろの天にいます主また主 人として礼拝するようにと命じられました。しかしわたしは、キリストを享受す ることができるとは決して告げられたことがありませんでした。わたしは、キリ ストがわたしの命の供給、またわたしの享受のための分であるとは教えられませ んでした。 わたしたちは救われた時、キリストの甘さの感覚を持ちました。わたしは内側深 くで、キリストがいかに享受に満ちているかを認識しました。その後、わたした ちの多くはキリストの享受からそらされ、引き離されました。わたしたちはキリ ストの甘さの内なる感覚から宗教的行ないへとそらされました。これはわたした ちを再び暗やみの中へと連れ戻してしまいました。そして内側の輝きは止まりま した。わたしたちの多くは何年間もこのような状態の中にありました。しかしあ る日、わたしたちは死に物狂いになって宗教的行ないをかなぐり捨てて、主に向 かって叫びました。わたしたちは、いったい何が自分に起こったのかと主に尋ね ました。わたしたちは主に向かうことによって、再び暗やみから光へと戻りまし た。その時、わたしたちは再び光の中で、聖徒たちの分であるキリストを享受し 始めました。 キリストにあずかり、キリストを享受する唯一の道は、光の中にあります。神と キリストは光です。わたしたちが主に戻り、主の臨在の中へと入る時、わたした ちは光の中におり、自動的にわたしたちの分である主を享受し始めます。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしはあなたの甘さを失ってしまったことを告白します。なぜな ら、わたしは単なる宗教的な行ないによってそらされていたからです。わたしを 真剣にならせてください。そしてあなたに向かって叫び、日々あなたの臨在に戻 り、あなたを享受するようにしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙」(1980年版)メッ セージ7から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。