わたしたちの分であるキリスト ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:12 光の中にある聖徒たちに割り当てられた分にあずかるようにと、 あなたがたを資格づけてくださった父に、感謝をささげるように。 使徒26:18 彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち 返らせるのである。それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、聖 別された人たちの間での嗣業を受けるためである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) パウロは今日の多くのクリスチャンとは対照的に、いやし、健康、住まい、家庭 生活、仕事のような事柄に対して感謝をささげたりしませんでした。むしろ彼は、 「光の中にある聖徒たちに割り当てられた分にあずかるように」とわたしたちを 資格づけてくださったことに対して、御父に感謝をささげました。コロサイ人へ の手紙は、からだのかしらであるキリストに関係があります。ですから、ここの 聖徒たちの分は、彼らの享受のためのすべてを含むキリストです。わたしたちは、 キリストはわたしたちのすべてを含む分であることを大胆に宣言することができ ます。 この節で分と訳されたギリシャ語は、良き地の分け前に対して使用されたへブル 語に相当します。イスラエルの子たちがカナンの地に入った後、それぞれの部族 はその地の分け前を与えられました。もちろん、今日のわたしたちの分、わたし たちの分け前は、パレスチナにおける物質的な地ではなく、すべてを含むキリス トです。キリストをわたしたちに神聖な分け前として与えてくださったことに対 して、わたしたちは何と御父に感謝しなければならないことでしょう!  それぞれの部族は良き地の分け前を持ちました。そして各部族のメンバーたちは この分け前にあずかりました。同じ原則により、わたしたちは聖徒たちの分の分 け前を持ちます。これは、わたしたちすべてがキリストの中に一つの分け前を持 っていることを意味します。(月曜日へ続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父よ、あなたの御子をわたしの享受として与えてくださり感謝します。わたしの 分は地的なものではありません。わたしの分は、すべてを含むキリストです。あ なたが他の人たちの目も開いてくださり、彼らがあなたに向かい、赦しを受け、 この方を嗣業として享受し始めるようにと、わたしは祈ります。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙」(1980年版)メッ セージ3から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。