神の義なる裁きがキリストの十字架刑において執行される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ27:45 さて正午から暗やみが全地を覆って、午後三時に及んだ。(46節)そ して午後三時ごろに、イエスは大声で叫んで言われた、「エリ、エリ、レマ、サ バクタニ?」。すなわち、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったので すか?」 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 人は不義でしたが、45節から神が義の方法で入って来られました。この節は言い ます、「さて正午から暗やみが全地を覆って、午後三時に及んだ」。正午は、文 字どおりには第六時であり、午後三時は、文字どおりには第九時です。主は第三 時、つまり午前九時に十字架につけられ、六時間十字架上で苦しまれました。前 半の三時間、彼は神のみこころを行なうために、人によって迫害されました。後 半の三時間、彼はわたしたちの贖いの達成のために、神によって裁かれました。 神が彼をわたしたちの罪のための身代わりとされたのは、この時間です(イザヤ 53:10)。ですから、暗やみが全地を覆いました(45節)。なぜなら、わたしたちの 罪(単数)ともろもろの罪(複数)とすべての否定的なものが、そこで対処されたか らです。また神は、わたしたちの罪のために彼を見捨てられました(46節)。 45節の時までに、人々はやれることはみなやりました。彼らは自分たちのできる 限りのことをしました。その時、神が入って来て、この十字架につけられた救い 主を裁き、彼を見捨てられました。46節は言います、「そして午後三時ごろに、 イエスは大声で叫んで言われた、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ?』。すなわ ち、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか?』」。神は十 字架上のキリストを見捨てられました。なぜなら、彼は罪人の立場を取って(1ペ テロ3:18)、わたしたちの罪を担い(1ペテロ2:24、イザヤ53:6)、わたしたちのた めに罪とされたからです(2コリント5:21)。 (明日へ続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 愛する主イエスよ、わたしの罪と、宇宙のすべての否定的なものを担ってくださ るほどの愛は、わたしの理解を超えています。あなたは神によって見捨てられる ほどにわたしを愛してくださいました! 主よ、わたしの身代わりになってくだ さり、それほどまでに顧みてくださったことを、感謝します。わたしはあなたを 愛します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997年 版)メッセージ第70編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。