わたしたちの天然の命は王国に入ることが不可能である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ26:63 ……大祭司は彼に言った、「あなたに命じる。あなたが神の子、キ リストであるかどうか、生ける神に誓って告げよ」。(64節)イエスは彼に言われ た、「……今から後あなたがたは、人の子が大能者の右に座し、天の雲に乗って 来るのを見る」。 (73節)しばらくして、そこに立っていた者たちがペテロの所に来て言った、「確 かにあなたも彼らの一人だ……」。(74節)その時、彼は「そんな人は知らない!」 と、のろって誓い始めた。すると、直ちに鶏が鳴いた。(75節)ペテロは、「鶏が 鳴く前に、あなたは三度わたしを否む」とイエスが言われた言葉を思い出した。 そして彼は出て行って、激しく泣いた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 最初にペテロが主を否んだ時、ただ言葉を言っただけでした。二回目に否んだ時、 彼は誓って答えました。三回目の否認では、のろって誓いました。主を三度否ん だ後、ペテロは鶏が鳴くのを聞いて、主の言葉を思い出し、出て行って激しく泣 きました(75節)。主が邪悪で不正な裁きをうけておられた時、ペテロは主を否み ました。主を否むことによって、ペテロは極みまで暴露されました。 わたしたちはこの出来事を、ペテロについての単なる物語として読むべきではあ りません。なぜならそれは、わたしたちの天然の命は王国に入ることが不可能で あることを啓示しているからです。わたしたちはみなペテロと同じですから、自 分の天然の命によって王国へと入る道に従って行こうとすべきではありません。 どのような思いや意志を持っていても、わたしたちは成功できません。わたした ちを完全に暴露する試みがやって来るでしょう。遅かれ早かれ、王国への途上に あるわたしたちはみな、同じ試みに直面するでしょう。主を賛美します。悔い改 め、泣き、告白する道がなおもあります。それは、主の赦しと主のさらなる訪れ をもたらします。王国のために、わたしたちは別の命を持ち、別の人にならなけ ればなりません。わたしたちはすべての試みを通過し、すべての敗北と失敗を経 験してはじめて、別の命が必要であることを認識するでしょう。この章で提示さ れている強い対照のゆえに、主を賛美します! ただひとりの人、イエスだけが 勝利を得ました。まことに、イエスの命だけが王国にふさわしいのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、自分の天然の命がどんなに良くても、それは必ず失敗することを、 わたしは認識しました。あなたをわたしの命とパースンとして取ることによって のみ、わたしは王国に入ることができます。主よ、わたしがあなたの命によって 生きることを、今日わたしに思い起こさせ、わたしを導いてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997年 版)メッセージ第69編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。