わたしたちの天然の命で主に従うことの失敗 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ26:33 ペテロは答えて言った、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、 わたしは決してつまずきません」。(34節)イエスは彼に言われた、「まことに、 わたしはあなたに言う。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを否むであろ う」。(35節)ペテロは言った、「たとえ、あなたと一緒に死ななければならなく ても、決してあなたを否みません」。弟子たちもみな同じように言った。(73節) しばらくして、そこに立っていた者たちがペテロの所に来て言った、「確かにあ なたも彼らの一人だ」。……(74節)その時、彼は「そんな人は知らない!」と、 のろって誓い始めた。すると、直ちに鶏が鳴いた。(75節)ペテロは、「鶏が鳴く前 に、あなたは三度わたしを否む」とイエスが言われた言葉を思い出した。そして彼 は出て行って、激しく泣いた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) わたしたちは天然の命によって王国の民となることはできません。この事実は、 第26章31節から75節の中で十分明らかにされています。ここには、キリストの捕 縛と裁きの絵があります。この記録は、だれも天然の命によって十字架の道にあ るキリストに従って行くことができないことを啓示しています。王はこの道を取 ることができますが、わたしたちは自分の天然の命ではできません。ですから、 主がわたしたちに代わって死に、わたしたちに代わって復活の中へと入らなけれ ばなりません。主の死を通して、わたしたちの消極的な状況は解決されます。そ して主の復活によって、主はわたしたちの中に取り入れられ、さらにはわたした ちとさえなることができます。 ペテロが否んだことの意義をわたしたちが見ることは重要です。第26章で、主イ エスとペテロは互いに全く対照的です。あらゆる面で、イエスは十字架の道を経 過することができました。しかし、あらゆる面で、ペテロはこの道を取ることで 失敗しました。他のすべての弟子たちは、もちろんペテロと同じでした。もしわ たしたちがこの事柄をはっきりと見るなら、ペテロの否認だけでなく、キリスト の勝利にも特別な注意を払うでしょう。 (明日へ続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの死と復活の偉大な勝利によってのみ、わたしはあなたに従 うことができます。自分の天然の命に信頼しないよう、わたしに思い起こさせて ください。なぜなら、天然の命は失敗するからです。あなたがわたしの内側で生 きてくださることによってのみ、わたしはあなたの王国の民の一人としてあなた に従うことができます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第69編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。