均衡のとれた方法で主を愛し、主に奉仕する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ25:1 その時、天の王国は、十人の処女が自分のともし火を持って、花婿 を迎えに出て行くようなものである。(14節)天の王国は、ある人が外国へ行こう として、自分の奴隷たちを呼び、彼らに自分の財産を渡すようなものである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 信者にこれら二つの面があるのは、彼らに二重の身分があるからです。この二重 の身分の第一の面は命と関係があり、第二の面は奉仕と関係があります。どのク リスチャンも、これら二つの面を無視すべきではありません。むしろ、わたした ちは両方に適切な注意を払い、命と奉仕において正しくならなければなりません。 命に関して、わたしたちは処女です。奉仕に関して、わたしたちは奴隷です。処 女にとって、主は花婿です。しかし、奴隷にとって、主は主人です。ですから、 わたしたちが二重の身分を持っているだけでなく、主も二重の身分を持っておら れます。一方で、主はわたしたちの喜ばしい花婿であり、もう一方で、主はわた したちの厳格な主人です。 わたしたちはこの原則で深く印象づけられる必要があります。命の面に関して、 わたしたちは内側から更新される必要があります。奉仕の面に関して、わたした ちは外側でとても活発である必要があります。ある時、わたしたちは外側でとて も活発であるため、内側で更新されることを軽んじてしまうかもしれません。し かし、ある時には、内なる命を考慮するあまり、十分に働かないかもしれません。 このようであることは、返さない菓子(ホセア7:8、原文)になることです。一方で は、わたしたちは燃えて焦げています。もう一方では、わたしたちは生です。ど ちら側も食べられません。わたしたちは返された菓子になる必要があります。も しわたしたちが働きすぎるなら、主はわたしたちに休むようにと言われます。し かし、もしわたしたちが休みすぎるなら、主はわたしたちに働くようにと言われ ます。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、均衡のとれた方法であなたを愛し、あなたに奉仕させてください。 わたしの心が、愛する花婿であるあなたをいつも愛するようにしてください。ま た、わたしの主人として、わたしを供給してください。それはあなたの奉仕にお いて、わたしが忠信に労苦するためです。主よ、あなたの御言葉を通してこのよ うに思い出させてくださることを、感謝します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第65編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。