肉における敬虔のしるしを消し去る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:10 新しい人を着たのです。その新しい人は、それを創造された方の かたちにしたがって全き知識へと至るように、新しくされつつあるのです。(11節) その新しい人には、ギリシャ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開人、スクテヤ人、 奴隷、自由人はあり得ません。キリストがすべてであり、すべての中におられる のです。 ガラテヤ6:15 割礼も無割礼も重要ではありません。重要なのはただ新創造です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 割礼と無割礼とは、肉における敬虔のしるしを言っています。ユダヤ人は、この 肉における敬虔のしるしを重んじていました。わたしたちは今日でさえ、ユダヤ 人と同じ問題に陥って、そのような外側のしるしを重んじる可能性があります。 例えば、確かに兄弟は浸水によってバプテスマされるべきです。しかしながら、 もしわたしが、浸水によるバプテスマをしなかった兄弟よりも自分は優っている と考えるのであれば、それはわたしが浸水によるバプテスマを敬虔のしるしとす ることになります。わたしは浸水によるバプテスマを、分け隔ての原因としてし まったことになります。 頭のおおい、パンさき、按手などのこれらの事柄には、真に多くの霊的意義があ ります。しかし、もしこれらをもって神の子供たちを分けるのであれば、これら の霊的意義は失われ、単なる肉のしるしとなってしまいます。これらのものは実 際において、割礼と似通ったものとなってしまいます。 どうか誤解しないでください。わたしたちが浸水によるバプテスマ、パンさき、 頭のおおい、按手に賛成しないと言っているのだとは考えないでください。あな たに見ていただきたいのですが、もしあなたがたがこれらによって神の子たちを 分けるなら、肉によって分けていることになるのです。キリストの中には割礼、 無割礼の区別はありません。身体上のしるしで神の子たちを分けてはいけません。 キリストの中でわたしたちは一つです。キリストの中にある命は一つです。霊的 な実際がある事柄に身体上のしるしがあっても、それは良い事です。しかしなが ら、ある事柄の霊的な実際があっても、身体上のしるしがないからと言って、そ の人を分け隔てすることはできません。要するに、神の子たちは身体上のしるし によって、キリストの中の一に損害を与えるようなことがあってはなりません。 ―――――――――――――――祈り―――――――――――――――――― 主イエスよ、霊的な意義を伴なう聖書的な良い実行でさえ、誤って用いられて、 信者の一を損なうことがあり得るということを、わたしが見ることができるよう 助けてください。主よ、わたしはこの事柄の深刻さを警告として受けとめたいで す。わたしが他の信者たちと関わりを持つ時に、わたしたちがキリストの中で一 つであることをわたしに思い起こさせてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー著「キリスト者の基本的な認識と経験」第8篇から引用されて います。いずれも日本福音書房から出版されています。 eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。 .