文化の違いを持たずに生きることによって、人を得て、キリストへともたらす ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るた めです。 ……(21節)律法の外にいる人には、(わたしは神の律法の外にいるのではなく、 キリストの律法の内にいるのですが)律法の外にいる人のようになりました。律 法の外にいる人を得るためです。(22節)……すべての人に対して、わたしはすべ てのものになりました。何とかして幾人かを救うためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちは教養のある兄弟姉妹を一緒に集めて、一つの教会を作ることはでき ません。また粗野な人たちを一緒に集めて、一つの教会を作ることはできません。 これは教会ではありません。これは教会の中のものではありません。それは教会 の外のものであり、からだの外のものであり、新しい人の外のものです。このよ うな問題を絶対に教会に持ち込んではいけません。文化の違いはすべて、教会の 中ではすでに除き去られているのです。 しかし、わたしたちはローマ人の間ではローマ人として生き、律法の下にある人 の間では律法の下にある人となることを学ばなければなりません。わたしたちが どの文化の中にいようとも、わたしたちは他の人と同じようにします。アフリカ の兄弟が中国に来たとします。彼が神を知っている人であるなら、はしを使って 御飯を食べるべきです。わたしたちは、その地の兄弟姉妹とトラブルを起こすこ とを願いません。わたしたちは彼らの所に行く時、そこの人々の間で生きること を学ばなければなりません。イギリスに行けば、イギリス人になることを学ぶべ きです。イギリス人が中国に来たなら、中国人になることを学ぶべきです。そう でなければ、他の人を傷つけてしまいます。そうでなければ、他の人を得て、キ リストへともたらすことはできません。この事の上で、神の子供たちが良い始ま りを持つなら、将来多くの問題を避けることができるでしょう。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、キリストにある信者たちと一緒に歩む生活をわたしが生きるよう教 えてください。主よ、わたしは他の人に自分の文化を押し付けたくありません。 わたしがキリストの中にある人となり、他の人が得られてあなたにもたらされる という展望を持って生きることができますように。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー著「キリスト者の基本的な認識と経験」第9篇から引用されて います。いずれも日本福音書房から出版されています。 eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。 .