わたしたちはからだ全体によって生きていることを見る必要がある ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒8:17 そこで二人は、彼らの上に手を置いた。すると、彼らは聖霊を受けた。 使徒19:5-6 彼らはこれを聞いて、主イエスの御名の中へとバプテスマされた。 そして、パウロが彼らの上に手を置いた時、聖霊が彼らの上に臨んだ……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 今日、だれか兄弟があなたに按手する場合、むなしく按手するわけでもなく、で たらめに按手するわけでもありません。あなたは目を見開いて、今日からわたし は多くの子たちの中の一人の子となること、多くの細胞の中の一細胞となること、 多くの肢体の中の一肢体となることを、見なければなりません。わたしは一肢体 ですから、わたしの命はからだ全体によって生きます。もしわたしがある場所で 単独にクリスチャンとなるなら、それでおしまいであり、何の役にも立ちません。 わたしが他の神の子たちと交わらなくなれば、問題が生じます。あなたにどんな に力があろうと、存在し続けることはできません。あなたがどんなに偉大で、ど んなに善良でも、あなたをからだから引き離せば、あなたは死んでしまいます。 あなたは、自分はとても強いと言うことはできません。からだがあるからこそ、 あなたは強いのです。これが、按手があなたになすことです。 他の人があなたに按手する時、あなたは内側で一つの認識を持たなければなりま せん、「主よ! わたしは自分自身によっては生きられません。わたしは自分が からだの一肢体であること、からだがあってはじめて生きられること、からだが あってはじめて塗り油を得られることを認めます」。はっきりしたでしょうか?  塗り油はかしらの上にあります。ですから、あなたは頭首権の下に服さなけれ ばなりません。あなたは神のすべての子たちと共にかしらの権威に服さなければ なりません。あなたは、個人的に主に服し、また他の人たちと共に一の中で主に 服さなければなりません。そうすれば、塗り油はあなたの所に来るでしょう。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしは自分自身で生きることはできません。わたしに、自分がか らだの中の一肢体であることをはっきりさせてください。からだがなければ、わ たしは生きることができません。からだがなければ、わたしは塗り油を持つこと ができません。他の肢体と共に一の中であなたの頭首権に服することの重要性を、 他の人たちにも見せてあげてください。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー著「キリスト者の基本的な認識と経験」第7篇から引用されて います。いずれも日本福音書房から出版されています。 Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。 .