からだの立場に立つことによって油塗りを受ける ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ1:22 また神は、万物をキリストの足の下に服従させ、そして彼を万物の 上にかしらとして教会に与えられました。(23節)この教会は、キリストのからだ であり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。 2コリント1:21 しかし、わたしたちをあなたがたと共に、キリストへと堅く結 び付けて、わたしたちに油を塗られた方は神です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1部) 神がご自身の霊を主イエスの上に注がれ、主イエスに聖霊を得させられた時、神 は聖霊を主イエス個人の上に注がれたのではなく、からだのかしらとしての主イ エスの上に注がれたのです。神の塗り油はかしらの上に注がれました。主イエス は、個人の資格をもって神からの塗り油を得られたのではありません。主イエス は神から聖霊をかしらに注がれた時、からだのかしらの立場に立っておられまし た。言い換えれば、主イエスはからだのために、神によって油塗られたのです。 こういうわけで、主イエスは「油塗られた者」と呼ばれます。そしてわたしたち も「油塗られた者」と呼ばれます。主の名はクリストス(Christos)であり、わた したちの名はクリストイ(Christoi)、すなわちクリスチャン、キリスト者です。 神は地上で一人の単独の人を得たいのではなく、一人の団体の人、すなわち教会 を得たいのです。地上の教会はそれ自身では、神の心を満足させることができま せん。遂行すべき事を遂行することができません。神の証しを維持することがで きません。なぜなら、神の力がないからです。ですから、神は必ず教会を油塗ら なければなりません。教会が油塗りを受ける時、教会は神の要求を満たすことが できます。油塗りは神の権威を象徴します。神の権威は、油塗りを通して教会の 上に注がれます。 (明日へ続く) ―――――――――――――――祈り―――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたはかしらであり、教会はあなたのからだです。かしらである あなたが受けたものは何であれ、教会の上に注がれなければなりません。このよ うにして、教会は神を満足させ、神のご計画を遂行することができます。神の証 しを維持するために、教会を力づけてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー著「キリスト者の基本的な認識と経験」第7篇から引用されて います。いずれも日本福音書房から出版されています。 eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。 .