主を食べることはわたしたちの第一の必要である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ15:27 すると彼女は言った、「主よ、そうです。しかし、子犬でさえ、主 人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」。(28節)そこで、イエスは彼女に 答えて言われた、「婦人よ、あなたの信仰は大したものである!」。 ヨハネ6:51 わたしは天から下って来た生けるパンである。だれでもこのパンを 食べるなら、永遠に生きる。わたしが与えるパンはわたしの肉であり、世の命の ために与えるものである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) その異邦人の女はこう言っているようでした、「主よ、そうです。わたしは汚れ た異教の犬です。しかし主よ、お忘れにならないでください。犬にも分け前があ るのです。犬の分け前は子供たちのように食卓の上にはありません。子供たちの 分け前は食卓の上ですが、犬の分け前は食卓の下です。主よ、あなたは今、食卓 の上、イスラエルの地におられるのではありません。あなたは食卓の下、異邦人 の世界におられます。あなたは、わたしがいる所におられます。あなたは、子供 たちがいる食卓の上におられるのではありません。あなたは今、食卓の下の犬が いる所におられます。主よ、犬も、食卓の下のパンくずを食べることはできるで しょう」。カナン人の女は鋭い者でした。そして彼女は主イエスを捕らえました。 食べることについてのこの部分で、主イエスは洗うことについては何も言われま せんでした。主イエスがことさらこうされたのは、弟子たちにただ一つのこと、 食べることだけが必要であることを示すためであったと、わたしは思います。た とえ異教の犬のように汚れていても、わたしたちはやはりイエスを食べる権利と 地位を持っています。ああ、わたしたちは遠慮なく食べる者である必要がありま す! 洗われるまで待っていてはなりません。今、あなたのありのままで主の所 に来て、主を食べなさい。ある詩歌が、「わたしはありのままで来ます」と言っ ている、その言葉のようにです。わたしたちはこう言う必要があります、「主よ、 わたしはありのままで来ました。わたしは、変わったり清められたりする必要は ありません。主よ、わたしはあなたが必要です。あなたに来て食べます。たとえ 汚れた犬であっても、わたしはありのままであなたに来ます」。食べることが第 一であり、食べることがすべてです。 (明日へ続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしの状態がどうであろうと、わたしが真剣になってあなたの所 に来て食べるようにしてください。あなたを食べることによってわたしの必要が 満たされることを、わたしは知っています。主よ、わたしを、規則正しく遠慮な しに食べる人にしてください。食べることがわたしの第一の必要であることを、 いつも思い出させてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第46編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。 eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。 .