主を告白しないことを恥とする ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ10:32 それゆえに、だれでもわたしの中で、人々の前でわたしを言い表す 者は、わたしもその人の中で、天におられるわたしの父の御前でその人を言い表 す。 使徒5:20 「行って宮の中に立ち、民衆にこの命の言葉をすべて語りなさい」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 主がわたしたちに恵みを与え、わたしたちを贖ってくださったのに、わたしたち が主のことを告白するのを恥じるのであれば、それはまるで早朝の空が太陽の光 を恥とするのと同じです。今日、主はわたしたちに恵みを与えてくださいました。 主はわたしたちを贖い、守ってくださいました。主はわたしたちを天にまでもた らしてくださいます。それにもかかわらず、わたしたちは主を告白するのを恥と するのです! もしそれが恥であるなら、わたしたちが受けてきたすべての恵み は恥ずべきものとなり、わたしたちはそれらすべてを拒絶すべきです! 主はわ たしたちのためにこれほど多くの事をなしてくださったのに、それでもあなたは 主を告白することは恥ずべきことであると感じるのでしょうか! そのようなこ とがあっていいのでしょうか? 恥と感じるべきことは、宴楽、酒に酔うこと、情欲におぼれること、暗やみのわ ざ、罪を犯すこと、邪悪なわざです。主はわたしたちをこれらすべてから解放し てくださったのですから、わたしたちは栄光と感じるべきです。どうして恥の感 覚があっていいものでしょうか? 主を告白するのはわたしたちにとって恥では ありません。主を告白することは、栄光であり、喜ばしいことです! わたした ちは永遠に滅びず、神に罪定めされず、裁きを免れており、永遠に神の栄光の御 顔を離れることがありません。わたしたちはいつも小羊に従う者たちであり、わ たしたちは小羊と永遠に共にいる者たちです。人が恥の観念をわたしたちに植え 込むのは、全く正しくないことです。わたしたちは大胆に立ち上がって、自分が 神のものであり、栄光であり、喜ばしい存在であることを語るべきです。 ―――――――――――――――祈り―――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしの感覚はしばしば、あるべき状態と正反対であることを認め ます。あなたはわたしのために非常に多くの事を成してくださいました。ですか らわたしは、あなたを人に告白しないことを恥じるべきです。あなたが行なって くださった大いなる事を思う時、どうかもっと多く語るようわたしを励ましてく ださいますように。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー著「キリスト者の基本的な認識と経験」第4篇から引用されて います。いずれも日本福音書房から出版されています。 eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。 .