宗教はキリストのないものである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ9:14 その時、ヨハネの弟子たちがイエスの所に来て言った、「わたした ちとパリサイ人はしばしば断食しているのに、なぜあなたの弟子たちは断食しな いのですか?」。(15節)イエスは彼らに言われた、「婚宴の部屋にいる子たちは、 花婿が一緒にいるのに、悲しむことができようか?」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― バプテスマのヨハネは古い宗教を捨てて、宗教の外にある荒野で彼の務めを開始 しました。ところが、しばらくすると、ヨハネの弟子たちは新しい宗教を形成し、 人々がキリストを享受するのを妨げました。それは、古い宗教のパリサイ人がや ったことと同じでした。バプテスマのヨハネの務めは、人々をキリストに紹介し、 キリストを彼らの贖い主、命、すべてとならせることでした。しかしながら、ヨ ハネの弟子たちのある者は、ヨハネの目標であったキリストから、ヨハネが行な った事へとそれてしまい、これらの実行を一つの宗教にしてしまいました。宗教 的であるということは、キリストなしに神のために何かをすることです。聖書的 なことや教理にかなったことを行なうことでさえ、キリストの臨在に欠けている なら、それは宗教的なことです。新しい宗教のヨハネの弟子たちと、古い宗教の パリサイ人は、しばしば断食しましたが、キリストがありませんでした。彼らは、 キリストを花婿として持っておらず、断食を宗教の事柄としてしまいました。そ れと同時に彼らは、キリストの弟子たちが断食もせず、ただキリストと共にいて、 キリストの臨在の中に生きていたことを、罪定めしました。 宗教を持つとは、神を礼拝し、神に仕え、神を喜ばせようとしてある事を行ない、 しかもキリストがないことです。宗教とは、その霊なしに、キリストなしに、神 のために行なうあらゆる事です。パリサイ人は神のために多くの事を行ないまし たが、キリストは彼らの中におられませんでした。彼らは多くの事を行なって神 に仕えましたが、その霊なしに行ないました。今やバプテスマのヨハネの弟子た ちが、キリストなしに、その霊なしに断食していました。それにもかかわらず、 この断食は神のためでした。こういうわけで、彼らは別の宗教を形成したのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたはわたしの愛する花婿です。わたしはあなたの臨在の中で日々 を過ごしたいです。たとえ聖書的で、良いことのように見えても、あなたからわ たしを引き離す事を行なうことから、わたしを救ってください。わたしはあなた と共にいることを享受したいです。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997年 版)メッセージ第27編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。 eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。 .