平和をつくる人の性質を持つ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:9 平和をつくる人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるからで ある。 ローマ12:18 あなたがたはできる限り、すべての人と平和に生活しなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (後半) 自分に厳格で、人にあわれみ深く、神に対して純粋な人は、平和をつくる人です。 彼らはだれをも怒らせたり、傷つけたり、駄目にしたりすることを好みません。 むしろ、彼らはすべての人と平和をつくりたいのです。平和をつくる人になると は、政治的になることを意味するのではありません。政治的であることは虚偽と 偽善です。わたしたちは義なる正方形でなければならず、政治的に円であっては なりません。新エルサレムは円ではなく、正方形であることを、覚えておいてく ださい。わたしたちクリスチャンはこのようでなければなりません。わたしたち は義なる正方形ですが、やはり人に対してあわれみ深いのです。これは、わたし たちを神に対して純粋にし、神を見させます。そのような人であるなら、自然に 平和をつくる人になるでしょう。そして、人と戦ったり、傷つけたりしないで、 わたしたちがかかわり合っている人たちとの間に、常に平和を維持するでしょう。 これが、平和をつくる人になることの意味です。 平和をつくる人たちは神の子と呼ばれます。これは、わたしたちの周りの人たち が、次のように言うことを意味します、「この人たちは人の子であるだけでなく、 神の子だ。人の子はみな互いに戦っているが、神の子たちは、彼らの天の父のよ うに、平和であり、常に人との間に平和をつくっている」。しかしながら、この 平和を保つことは、外側の振る舞いだけのことであってはなりません。それは政 治的です。わたしたちの平和は、わたしたちの性質から出てこなければなりませ ん。わたしたちには、自分に対しては厳格とならせ、人に対してはあわれみ深く ならせ、神に対しては純粋であらせる性質があります。わたしたちはこのような 性質を持っているので、自然に人との平和を保ちます。これは政治的な平和工作 ではありません。それはわたしたちの性質の自然な結果です。これが人に、「こ の人たちは真に神の子である」と言わせるのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、わたしが他の人と平和をつくることは、全くわたしにはよらないこ とに、わたしは安心します。ハレルヤ! この能力は、わたしの内側にあるあな たの神聖な性質から出てきます。父よ、わたしがあなたの神聖な命とその性質に さらに信頼するよう、わたしを導いてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウィットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997年 版)メッセージ第15編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。 eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。 .