TITLE : eManna Japan Archive 信仰の行ないを持つ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヤコブ2:14 わたしの兄弟たちよ、だれかが、自分には信仰があると言っても、 行ないがないなら何の益があるでしょうか? (26節)霊のない体が死んだもので あるように、行ないのない信仰も死んだものです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (後半) ですから、問題となるのは、良い行ないか悪い行ないかではなく、信仰があるか ないかです。人を義とするのは信仰です。ヤコブは、ラハブは行ないによって義 とされたと言いますが、ラハブの行ないは彼女の信仰の現れにすぎませんでした。 最後に26節は言います、「霊のない体が死んだものであるように、行ないのない 信仰も死んだものです」。わたしたちの霊は体の中にあります。ですから、わた したちの霊はわたしたちの体の霊であると言うことができます。ある種の行ない は、信仰を必要とし、信仰につながらなければなりません。ある種の行ないは、 信仰の結果であり、信仰から出て来るものです。もし信仰に行ないがなければ、 霊のない体が死んだものであるのと同じように、死んだものとなってしまいます。 ですから、わたしたちは信仰によって救われ、信仰によって義とされ、信仰によ って命を得ます。 信仰を表現する方法は多くありますが、その源はやはり信仰です。ある人はそれ を、自分の職業を放棄することによって表現します。ある人はそれを、自分の両 親の足跡に従わないことによって表現します。ある人はそれを、自分の地位を放 棄することによって表現します。信仰にはさまざまな種類の表現があります。問 題は、良い行ないか悪い行ないかではなく、信仰です。ヤコブの言っていること は、機会がある時には、わたしたちの信仰は表現されるべきであるということで す。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたがわたしに与えてくださった信仰を感謝します。わたしはた だ信仰について知るだけでなく、信仰を表現することを願います。主よ、あなた は、今日わたしが直面するであろう事柄をご存じです。試みがやって来る時、わ たしの信仰が表現されることを願います。アーメン。