TITLE : eManna Japan Archive 来て見なさい ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ1:45 ピリポはナタナエルを見つけて言った、「わたしたちは、モーセが 律法の中で書いており、予言者たちも書いている方、ヨセフの子、ナザレのイエ スに出会った」。 (46節)ナタナエルは言った、「ナザレから何の良いものが出るだろうか?」。ピ リポは彼に言った、「来て見なさい」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (後半) ピリポはイエスに会った時、イエスがメシヤであることを認識しました。そこで ピリポはナタナエルの所に行って、自分がメシヤに会ったことと、彼がヨセフの 子、ナザレの人であることとを告げました。すると直ちにナタナエルは言いまし た、「ナザレから何の良いものが出るだろうか?」。ピリポはナタナエルに間違 った報告をしたのでしょうか? それを言うのは難しいです。ピリポは、イエス がヨセフの子であり、ナザレ人であることを知っていただけでした。イエスはナ ザレの出身であり、ナザレ人でしたが、ナザレで生まれたのではなく、ベツレヘ ムで生まれました。ナタナエルは当惑しました。しかしながら、ピリポはナタナ エルと議論しませんでした。彼はただ「来て見なさい」と言いました。 一見するとイエスはナザレ人でしたが、イエスの中には神の栄光がありました。 コリント人への第二の手紙第5章16節は、わたしたちはキリストやいかなる人をも 外側の現れによって知るべきではないと言っています。そうではなく、わたした ちはキリストの内側の実際を識別しなければなりません。 わたしたちは今日この原則を保持しなければなりません。わたしたちは外側の現 れにしたがってではなく、内側にあるものにしたがって進まなければなりません。 教会や聖徒たちを知ろうとするなら、外側の現れによって当惑させられてはなり ません。大聖堂、大きな教会堂、パイプオルガンなどのような外側の事柄に、何 の価値も置いてはなりません。それらをすべて忘れなさい。イエスには、外側の 際立ったものは何もありませんでした。彼は小さなナザレ人であり、「諸国民の ガリラヤ」と呼ばれた地方で育ち、「ナザレから何の良いものが出るだろうか?」 と人々にさげすまれた町で成長した方でした。しかし、もしあなたが「来て見て」、 彼の中に入るなら、彼を高く評価し、彼によって捕らえられるでしょう。  ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの下に来て、あなたが真にどのような方であるか見る時、わ たしは感謝と高い評価で満たされます。わたしは、他の人たちが外側の現れに基 づいたものを追い求めることがないようにと祈ります。彼らをあなたに引き寄せ、 あなたを内側の実際において知るようにしてください。アーメン。