TITLE : eManna Japan Archive 異なった入る方法 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ3:16 神はそのひとり子を賜ったほどに、世の人を愛された。それは、彼 の中へと信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである。 マタイ7:21 わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者がみな、天の王国に入る のではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (第2部) 天の王国と永遠の命との間のもう一つの違いは、人が天の王国に入る方法と、永 遠の命を得る方法にあります。永遠の命を得ることは、ヨハネによる福音書全体 の主題です。永遠の命を得る方法は、信じることによります。いったん信じるな ら、永遠の命を得ます。他の方法は書いてありません。しかし、天の王国に入る のは簡単なことではありません。マタイによる福音書全体は、天の王国について 三十二回述べていますが、天の王国を信仰によって受けることができるとは、一 度も述べていません。 人はどのようにして天の王国を得るのでしょうか? マタイによる福音書第7章21 節から見ることができますが、天の王国に入るのは、信仰の問題ではなく、行な いの問題です。マタイによる福音書第5章3節は言います、「霊の中で貧しい人た ちは幸いである。天の王国は彼らのものだからである」。ここでは、永遠の命と 言うのではなく、天の王国と言っています。天の王国を持つためには、人は霊の 中で貧しくある必要があります。主は次のようにも言われます、「義のために迫 害されている人たちは幸いである。天の王国は彼らのものだからである」(10節)。 人は、永遠の命を得るために迫害を受ける必要はありません。しかし王国は、義 のために迫害されてきた人たちのものです。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父よ、あなたのみこころを行なって天の王国に入るという願いで、わたしを満た してください。わたしは、自分は永遠の命を持っているので自動的に王国に入る であろう、などと仮定したくありません。適切な働きをして入るという願いを、 わたしに起こしてください。アーメン。