TITLE : em980904 信仰によって生きる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ1:2 アブラハムはイサクを生み、イサクはヤコブを生み……。 ローマ9:7-8 また彼らがアブラハムの子孫であるからといって、すべてが子供で はないからです。むしろ、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」。 すなわち、肉の子供が神の子供たちではなく、約束の子供が子孫と勘定されるの です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イサクとは何でしょうか? イサクは信仰による生活と歩みの結果です。これは キリストです。イサクは、御父のすべての豊富を受け継ぐキリストの一つの完全 な予表でした。わたしたちはみな、そのようにキリストを経験しなければなりま せん。わたしたちの行為、奮闘、努力によってではなく、ただキリストに信頼す ることによってです。わたしたちがキリストに信頼した結果がイサクになります。 イサクだけがキリストの出生の真の要素です。肉のアブラハムから出た子たちが、 みな神の子であるわけではありません。ただイサクにおいて、神はご自身の子た ちを持たれます。ですから、神はイサクをアブラハムの唯一の子、キリストに関 する約束を受け継ぐただ一人の相続人と考えられました。 今日わたしたちはアブラハムの種族ですが、わたしたちはイシマエルの道を歩い ているのでしょうか、それともイサクの道に生きているのでしょうか? イシマ エルの道は、自分の力と働きによって神の目的を果たすことです。イサクの道は、 自分自身を神の中に置き、神に信頼し、神にあらゆることを行なっていただき、 わたしたちに対する神の目的を果たしていただくことです。これら二つの道の間 には、何という大きな違いがあることでしょう! イシマエルはキリストとは何 の関係もありません。わたしたちはイサクを持たなければなりません。もしわた したちがイサクを持ちたいのであれば、イシマエルを追い出し、自分の行ないを やめ、自分自身を神の働きの中に入れなければなりません。わたしたちに対する 神の約束を、神に果たしていただくなら、わたしたちはイサクを持つでしょう。 ――――――――――――――――祈り―――――――――――――――― 父なる神よ。キリストを経験して、あなたの目的を達成するために、わたしは 自分自身の力と働きを拒絶します。自分の行ないに頼らず、奮闘、努力せず、た だあなたの働きのために自分自身をあなたにささげる単純な者でありたいです。 アーメン。