TITLE : em980904 キリストの死が神への道を開く ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヘブル10:12 しかし、この方は、罪のために一つのいけにえをささげて、永遠に 神の右に座り、(19節)こういうわけで、兄弟たちよ、わたしたちはイエスの血に よって、大胆に至聖所へ入ります。(20節)それは、彼がわたしたちのために、彼 の肉体である幕を通して、新しい生きた道を開いてくださったからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主イエスの義なる行ないは、主イエスが神であることを証明します。これらの義 なる行ないのゆえ、主イエスはご自身のために死ぬ必要はありませんでした。主 イエスの義なる行ないは、わたしたちの罪を担って十字架上で死ぬ資格を彼に与 えます。もし主イエスに何かの罪があれば、その死はご自分のためのものです。 そしてわたしたちに代わって死ぬことはできません。主には罪が全くなかったの で、いけにえとしてわたしたちの罪のためにささげられる資格がありました。 聖書の予表を考えてみましょう。幕屋の聖所と至聖所との間に、一つの幕があり ました。神は幕の中の至聖所におられました。幕の外はこの世でした。聖書は、 この幕が主イエスの肉体を象徴していると言います(ヘブル10:20)。言い換えれ ば、至聖所を見ることができるのは、地上での人としての主イエスによってだけ です。……だれでも神を見ることができるのではありません。主イエスだけが神 を見ることができます。人が至聖所を見ることができるようになったのは、神が 天から幕を取り去り、至聖所と聖所と外庭を一つに結び付けた時です。これは、 神の御子が十字架につけられた時に成就されました。その時、至聖所への道が開 かれました。この裂かれた幕とは、主イエスの肉体です。今やわたしたちは大胆 に、信仰の全き確信を持って、神に近づくのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、感謝します。今日、わたしを至聖所から隔てる幕はありません。主よ、 あなたはご自身の死によって道を開かれました。ハレルヤ。あなたの中でわた しは自由に神に来て、神を知ることができます。アーメン。