TITLE : em980904 イエスは神と人の両方として死なれた ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒20:28 ……神がご自身の血を通して獲得された神の教会を牧させるのです。 ヘブル2:14 こういうわけで、子供たちが血と肉にあずかっているので、同様に 彼ご自身も同じものにあずかられたのです。それは、彼が死を通して、死の権能 を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼすためであり。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主イエスは第三者ではなく、当事者です。彼は神ですから、十字架につけられる 資格があります。彼は人ですから、わたしたちに代わって十字架上で死ぬことが できます。この二つの言い方を、はっきり区別する必要があります。彼は神であ るので、十字架につけられる資格があります。彼は人であるので、十字架上で死 ぬことができます。彼はもう一方の当事者です。しかし、彼は人の側へと入って きて、刑罰を受けられました。神は人と成られました。神は人の間に来て、ご自 身を人と結び付け、人の重荷を負い、人のすべての罪を担われました。贖いが義 なるものとなるためには、ナザレ人イエスが神でなければなりません。もしナザ レ人イエスが神でないなら、贖いは義なるものではありません。わたしは十字架 を仰ぐ時はいつも、心の内でこの方は神であると言います。もし彼が神でないな ら、彼の死は不義となり、それはわたしたちを救うことができません。なぜなら、 彼は第三者であるにすぎないからです。しかし、神に感謝し、賛美します。彼は わたしたちのもう一方の当事者です。ですからわたしは、ただ二人の当事者だけ がわたしたちの罪を対処することができると言うのです。一人は、わたしたち自 身であり、この場合、わたしたちが死ななければなりません。もう一人は、わた したちが逆らって罪を犯した神であり、この場合、神がわたしたちに代わって死 なれます。この両者以外に、わたしたちの罪を対処する権利と権威を持つ第三者 はいません。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたは神ご自身として、わたしのすべての賛美にふさわしい方で す。人の義の刑罰を受けるために、人の側に入ってくださったことを感謝します。 あなたがすで成し遂げられたように、あなただけが罪を対処する資格があり、ま たそれをすることができます。アーメン。