恵みは行動における愛である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント13:14 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、 あなたがた一同と共にありますように。 ヨハネ1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと実際はイエス・キリ ストを通して来たからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神は愛ですから、恵みの問題が出てきます。確かに愛は尊いものですが、愛に はまたその表現がなければなりません。愛が表現される時、それは恵みとなり ます。恵みは、表現された愛です。愛は神の中にあるものです。しかし、この 愛があなたのところに来る時、それは恵みとなります。もし神がただ愛である だけなら、神はとても抽象的です。しかし、主に感謝します。愛は抽象的なも のですが、神と共にあれば、直ちに具体的なものになります。 例えば、あなたはこじきをかわいそうに思って、その人を愛し、同情するとし ます。ところが、もし食物と衣服を彼に与えなければ、せいぜいあなたは彼を 愛していると言うことができるだけです。あなたは、自分はそのこじきにとっ て恵みであると言うことはできません。それでは、彼に対してあなたが恵みを 持っていると言うことができるのは、どのような時でしょうか? あなたが一 杯のご飯、一着の衣服、幾らかのお金を彼に与え、そして食物、衣服、お金が 彼に届く時、あなたの愛は恵みとなります。愛が行動に変わる時、それは恵み となります。 聖書が強調するのは、神の愛と主イエスの恵みです。なぜそうなのでしょうか?  それは、救いを成就したのが主イエスであったからです。愛を実体化し、恵み を成就したのは、主イエスでした。神の愛は、主イエスのみわざを通して恵み となりました。ですから聖書は、律法はモーセを通して与えられたが、恵みは イエス・キリストを通して来たのであると告げるのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― おお主イエスよ、あなたがわたしに恵みとして来られ、神の愛をとても実際的 にしてくださったことを感謝します。主よ、あなたが他の人にも恵みとして届 いてくださるよう、わたしは祈ります。この恵みによって、他の人もあなたの 愛を経験し、毎日あなたをエンジョイすることができます。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウォッチマン・ニー全集第28巻「神の福音」(1997年版)の53-56ページから 引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。