キリストの命の中で救われる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ5:10 というのは、わたしたちが敵であった時に、御子の死を通して神 に和解させられたからには、和解させられている今、御子の命の中で救われる のは、なおさらのことです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ローマ人への手紙第5章10節に来る前に、わたしたちは贖われ、義とされ、和解 させられているので、すでに救われていると聖書は言っています。それでは、 なぜ突然この節は、わたしたちは救われると言うのでしょうか? 贖い、義認、 和解には、キリストが死んで血が流される必要があります。ところが、聖別、 造り変え、同形化には、キリストの命の内なる働きが必要です。十字架上のキ リストの死は客観的な救いですが、キリストの命はわたしたちを主観的に救い ます。わたしたちはさらに救われる必要があります。わたしたちが地獄から、 神の罪定めから救われることは、地位上の(客観的な)救いです。今必要なのは、 わたしたちの性質から、例えば古い人、自己、天然(生まれながら)の命などか ら救われることです。これは性質上の(主観的な)救いです。 「和解させられている今、御子の命の中で救われるのは、なおさらのことです」。 わたしたちは日ごとに、多くの否定的なものから救われる必要があります。自 分のかんしゃくや自己からも救われる必要があります。わたしたちは、まとい つく罪から救われる必要があります。すなわち罪と死の法則から、御子の命の 中で解放される必要があります。御子の命の中で、世俗的になることから救わ れる、すなわち聖別される必要があります。御子の命の中で、自分の天然から 救われる、すなわち天然(生まれながら)の命が造り変えられる必要があります。 御子の命の中で、自己の様から救われる、すなわち神の長子キリストのかたち に同形化される必要があります。御子の命の中で、個人主義的であることから 救われる、すなわち共に一つからだに建造される必要があります。これはキリ ストの命の中での救いであり、ローマ人への手紙の続く各章で十分に定義され ています。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしの中のこの救う命は、なんと貴いことでしょう。わたしは 神に和解させられましたが、毎日かんしゃくやその他の否定的な事柄から救わ れる必要が、依然としてあります。あなたに協力して毎日救われることができ るよう、わたしを助けてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウィットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙」(1998年版) メッセージ第9編と10編の161,163-164ページから引用されています。いずれも 日本福音書房から出版されています。