義認とは何でしょうか? ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ3:24 価なしに、彼の恵みにより、キリスト・イエスにある贖いを通し て、義とされるからです。(26節)それは現在の時に彼の義を明らかに示すため です。こうして神が義であり、また彼はイエスの信仰の者を義とされるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神の義とは何でしょうか? 神の義とは公正と正義とに関して、神が何である かの問題です。神は公正であり正義です。ご自身の公正と正義において神が何 であられるかのすべてが、彼の義を構成します。 義認とは何でしょうか? 義認とは、神の義の標準にしたがって人々を是認す る神の行為です。わたしたちの義ではなく、神の義が標準です。わたしたちが 自ら義であると考えたところで、その義はわずか四分の一インチの高さにすぎ ません。わたしたちがどれほど正しくあろうと、わたしたちがいかに正しいと 自ら考えようと、その義は数分の一インチの高さです。神の義の高さはどれほ どでしょうか? それは無限です! あなたは自分の義にしたがって神に是認 されることができるでしょうか? それは不可能です。たとえあなたがだれの 目にも正しく見えたとしても――あなたの両親、あなたの子たち、あなたの友 人たちに正しく見えたとしても――あなたの義は神の御前に決してあなたを義 とすることはありません。あなたはあなたの義の標準にしたがって自分を義と するかもしれません。しかし、あなたは神の標準にしたがって神に是認される ことは決してあり得ません。わたしたちは信仰による義認を必要とします。神 の御前での信仰による義認は、神の義の標準にしたがって神に是認されること を意味します。 神はどのようにしてこの事をなし得るのでしょうか? 神がそれをすることが できるのは、わたしたちの義認がキリストの贖いに基づいているからです。キ リストの贖いがわたしたちに適用される時、わたしたちは義とされます。もし そのような贖いがないとしたら、わたしたちが神によって義とされることは不 可能です。贖いは義認の基礎です。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、わたしの義ではなく、あなたの義が標準です。わたしが正しくあ ることが、わたしを義とするのではありません。主を賛美します。わたしが是 認されるのは、わたしの義のゆえにではなく、あなたがキリストの贖いを基礎 として持っておられるからです。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウィットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙」メッセ ージ第5編(1997年版)から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。