祈ってもだめな時は語りなさい ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ16:15 イエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたは、わたしを だれであると言うのか?」。(16節)シモン・ペテロが答えて言った、「あな たはキリスト、生ける神の子です」。(18節)「そこでわたしもあなたに言う。あ なたはペテロである。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を立てる。ハデス の門も、それに勝つことはない」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちの回りのものがすべて混乱しているように思えることがあります。 サタンも、「おまえはもう終わりだ」とあざ笑います。このような時は、祈っ ても効果がないかもしれません。最も良いのは、「イエスは主です!」と声高 く宣言することです。そうすれば、困難もサタンのあざ笑いも無であることが わかるでしょう。試みの中に置かれた時には、立ち上がって語るべきです。自 分の部屋で語ってもよいし、祈りの集会で語ってもよいでしょう。しかし、ど こにいても、あなたは「イエスは主です!」と言い、主に向かって「あなたは ある!」と言うのです。主はそのような宣言を聞きたいのです。こうすれば内 側から力づけられます。……教会とハデスの門との関係を見たことがなければ、 わたしたちは語り出すことの重要さがわからないでしょう。心の中で信じさえ すれば、あるいは祈りさえすれば、それで十分だと思われるかもしれません。 しかし、教会が地上に存在するのは、ハデスの門を閉じるためであることを見 るなら、ナザレのイエスがだれであるかを宣言することは、命、力、権威をも った宣言であることが必ずわかります。ある人たちは、主の御前でたびたび困 難に遭い、どんなに一生懸命信じようとしても、困難を切り抜けることはでき ませんでした。信仰も祈りも嘆願も効果がないように見えました。しかしある 時、立ち上がって「主よ、あなたは主です。あなたは王です! あなたは悪魔 を足の下に踏み砕かれました。あなたは悪魔の働きを破壊された方です!」と 宣言しました。その時、力がやって来ました。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、黙っているクリスチャンであることからわたしを救ってください。 あなたがだれであるかをわたしが宣言することにより、わたしを生かし、力づ けてください。そして、どんな試みや苦難の上にも立ち上がることのできる権 威を与えてください。わたしにも、語ることであなたを経験させてください。 アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウォッチマン・ニー全集第36巻「キリストは教会の岩である」(1998年版)の 179-181ページから引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。