自分の牧している者たちから拒否される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記37:2 ……ヨセフは17歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。 ……(8節)兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするの か。私たちを支配しようとでも言うのか」。こうして彼らは、夢のことや、こ とばのことで、彼をますます憎むようになった。(新改訳) ヨハネ19:15 彼らは叫んだ、「除け! 除け! 彼を十字架につけよ!」。ピ ラトは彼らに、「わたしがあなたがたの王を十字架につけるのか?」と言った。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (後半) 支配することはまず牧することです。もし他の人々を牧し、養う負担がないと したら、あなたは決して支配することはできないでしょう。支配する権威は牧 する命から来ます。最終的にヨセフは彼の兄たちを治めました。しかしヨセフ は、まず彼らを牧してから、彼らを支配したのです。ヨセフは兄たちを牧し、 養うために、その父によって遣わされました。同じように、イエスは他の人々 を支配する王として来られたのではありません。彼は牧者としてこられました。 牧者としてイエスは、ご自身の民によって殺されました。これはヨハネによる 福音書第10章の中で明らかにされています。そこでは良い牧者は羊のために自 分の命を捨てると言われています。イエスは牧者として来られ、殺され、そし てその群れのためにご自分の命を捨てられました。 原則において、同じ事が第37章でヨセフに起こりました。彼は兄たちを牧する ために遣わされましたが、彼らにあやうく殺されるところでした。ヨセフは、 このように牧するために自分の命を投げ出しました。わたしたちが、内側に牧 する命を持っていることは良いことです。しかし、もしあなたが他の人々を牧 そうとするなら、その顧みている人たちによって殺される覚悟がなければなり ません。あなたが牧そうと願うその人たちは、あなたのしていることに感謝し ないでしょう。かえって、あなたのことを変わった、独特な人だと考えるかも しれません。そしてあなたを「近寄りがたい」兄弟と呼ぶかもしれません。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、たとえ拒否されても、人を牧する負担で満たしてください。相手 の反応がどのようであっても、心から養い、顧みることができるよう、導いて ください。またわたしの中でも、この牧する命が成長しますように。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウィットネス・リー著「ライフスタディ創世記」メッセージ第110編(1984 年版)から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。