あなたの足を油に浸す ―――――――――――――――聖書の節―――――――――――――――― 創世記49:20 アシェルには、その食物が豊かになり、彼は王のごちそうを作り 出す(新改訳)。 申命記33:24 アシェルについて言った。「……その足を、油の中に浸すように なれ。(25節)……あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように」(新改訳)。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― これは確かに比喩的な言い方です。足を油に浸すことの霊的意義は、その霊で 満たされることです。予表によれば、油は神の霊のことを言っています。アシ ェルは、滴の油ではなく、足を浸すのに十分な油を持っています。これは、ア シェルにおいて、わたしたちがその霊の豊かな満ちあふれる供給を持つことを 意味します(ピリピ1:19)。わたしたちは油の中を歩くことができるのです! わたしたちが卓越した祝福と超絶する恵み、命の豊かな備えとその霊の満ちあ ふれる供給を持つ時、わたしたちは平安と力と、安全と、充足を伴う完全な安 息を持ちます。これはピリピ人への手紙第4章11節から13節における使徒パウロ の経験でした。彼はいかなる状況の中でも満足していました。わたしは次のこ とを証しすることができます。わたしは今週、自分は油の中を歩いている、ま た満足、平安、安息を持っているという深い感覚を持ちました。またわたしは 力にも満たされていました。ですから、わたしは安全と充足を持っています。 主はわたしの牧者です。そしてわたしには何の乏しさも、不足も、欠乏もあり ません(詩23:1)。あなたはこの安全と充足を持っていると言う大胆さがありま すか? それとも今朝、あなたの妻があなたにつらく当たったけれど、何とか 辛抱したと言うのですか? あなたはこのように言うことができなければなり ません。「今朝、わたしの妻はわたしをつらい目に遭わせました。しかし、主 を賛美します。わたしは深い油の中を歩きました! 今、わたしは安息、平安、 安全、力、充足を持っています。わたしの力は、わたしの生きるかぎり続くで しょう。わたしの生きるかぎりわたしの安息、わたしの安全、またわたしの充 足は続くでしょう」。これがアシェルの経験です。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、今日、わたしをその霊で満たしてください。どのような状況にあ っても、その霊の満ちあふれる供給の経験と深い感覚の中に、わたしをもたら してください。またわたしにも、このような霊によって歩く経験を与えてくだ さいますように。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 聖書の節は、新改訳聖書から引用されています。務めの言葉は、ウィットネス・ リー著「ライフスタディ創世記」(1984年版)メッセージ第103編から引用されて おり、日本福音書房から出版されています。